岐阜大学日研生と八幡中学生との交流事業
6月15日に岐阜大学日研生(日本語・日本文化研修生スウェーデンのペーテル・ヨンソルさん、クリスチャン・マンデールさん、タイのスンタリー・ピスットさん、中国の李 林菲さん、王 水連さん、安 海星さん)が八幡中学校を訪問して生徒たちと交流しました。
リ・リンヒさんの言葉
2007年6月15日、岐阜大学に日本語研修生として留学している6人は郡上八幡国際友好協会に招かれ、郡上への旅が始まった。
午前12時に岐阜大学のバス停に、会長の鷲見さんと副会長の辻さんと古池さんはわざわざ迎えにきてくださった。
簡単な挨拶した後、急いで出発した。途中で、高速道路の入り口の辺りで、協会の方から昼食をご馳走になった。
午後2時に近づいた時、八幡中学校に着いた。
郡上は山に囲まれたところなので、中学校は麓のところに位置している。「ここで勉強したら、毎日素晴らしい景色をみられていいなあ」と私はそう思った。
車に降りると、学校の窓から私たちを覗いている生徒が見えた。そして、私たちはお互いに向かって、手を振った。
「みんなは私たちの到着を待っていたんだ。こんなに歓迎してくれるんだ」と私はうれしく、そう思った。
その後、校長先生の事務室で少し休んだ。そして、3年生各クラスの代表は迎えてきてくれた。私とタイからの留学生スンの交流相手は3年2組だ。クラスに入るとみんな「どんだけ」という特別な言葉で歓迎してくれた。
私は教室の前でみんなの顔をざっと見回し、少し緊張しているが優しい笑顔の生徒たちの姿を認めた。初対面の印象は全員非常に元気というものだった。
それから、私たちのために、歓迎の合唱をしてくれた。音響やマイクなどなかったが、あの声は何よりもきれいだった。これは私が生まれてから今までの人生の中で聞いた一番感動した歌の一つだった。
『天使の声じゃないか、多分このシーンを私は一生忘れないだろう』とそう思った。
クラスを二つに分け、私とスンはそれぞれのグループに入り、交流活動が始まった。ある会議室で「中国紹介講義」が行われた。
『先生』(即ち、私)の解説が分かりにくく、つまらなかったが、生徒は全員まじめに聞いてくれた。
「少し中国のことについて、生徒たちのためになれたかなあ」と私は願っている。その後は八幡中学校の選択授業を見て回った。
まだ中学生だが、多くの人が大人並みの特技を持っていると発見してびっくりした。お囃子やバレーボールや卓球やロボット製造など、私は日本人の中学生がうらやましい。学校は受験勉強のところだけではなく、本当に自分の潜在能力を磨くことができる場所だ。
放課後の前に、もう一回合唱が行われた。私たちは教室棟の向こう側の建物の廊下の中でそれを聞いて、もう一回感動した。そして、生徒たちは私たちのためにもう一回『翼をください』という深遠な意味を含んでいる歌を歌ってくれた。
それに、多くのクラスは教室をからベランダに出て、私たちに向けて合唱した。天籟のような声を聞き、私は日本の将来を見たように感動し、震撼した。
次に、親切な学生に連れられ、部活動を見て回った。私たちはラッキーで、はじめて剣道と柔道のような日本伝統なスポーツを見た。そして、体操をやる二人は非常に上手だと思った。
5時30分、ホームステイ先の丹羽奈々恵さんに会った。
それから、奈々と奈々の友達――7人ぐらいに連れられ、奈々のお宅へ行った。
丹羽家族のお父さん、お母さん、おばあさん、奈々、杏奈、達郎に大変お世話になった。私は伝統的な日本料理を食べ、伝統な和室で一晩を過ごした。それに、晩御飯の後、家族全員と一緒に町を散歩にいった。
郡上は大きな町とはいえないが、仏教の薫陶をうけ、伝統な文化を大切にし、2000年の歴史の香りがあり、静かな町だと思った。『本当に自然に恵まれたところだなあ』とこれは私の心から出た言葉だ。
次の日の朝、別れる時になった。付き合った時間は短かったが、みんな親切にしてくれ、まるで、自分の家に帰ったような感じがした。その時がとてもつらかった。おばあさんから、家族全員から私へのお土産をもらった。そして、『ぜひ、またきてね』と何回もお父さん、お母さんに誘われた。実は、留学生活は家から離れ、なんでも自分でやらなければならない。多少つらい。だが、その日にもう一度家族からの暖かさを感じた。私にとって、これは何もより暖かいものだ。丹羽さん一家にもう一回「ありがとう」という言葉を本心から言いたい。
それから、副会長の谷口さんのお宅へいった。そこで、谷口一家からも親切にしていただいた。午前11時ごろに谷口のお母さんとお父さんとお母さんの実家の娘さん(谷口さんの姪御さん)に連れられ、もう一回郡上を見に行った。今度は郡上は景色がきれいなだけだはなく、手工芸が発達しているということが分かった。私はお土産の店で、包装の美しいのお菓子を買った。その包装に郡上八幡城と郡上踊りと宗祇水の水彩絵が描いてある。「9月に中国に帰ったら、プレゼントとして、両親にあげよう」と私は思った。そして、昼ごはんのときに、イノシシの肉で作ったコロッケを食べた。おいしかった。
最後に谷口のお父さんと国際交流の川井さんは私をバス亭まで送ってくれた。バスが発車したが、二人はまだ私に手を振っていた。
実は中国語に『さようなら』という言葉がない。
そのかわりに「再見」という言葉がよく使われている。
その意味は「またあいましょう」というのだ。
「では、また会いましょう、郡上の中学校の生徒と先生、丹羽さん一家、谷口さん一家、『happyboy』、辻さんと国際交流の方々。
皆さんのおかげで、私の留学生活はさらに多彩になった。今度の経験は私にとって人生の中の美しい思い出だ。きっと一生忘れないよ」と私はそう思った。
最後にもう一回感謝する。
「いろいろお世話になりました。本当にありがとうございました。」
(リ・リンヒ)